六曲の弦楽四重奏曲を、まったく自発的に、
一七八五年一月十四日までの間にあいついで書きあげていることによっても、
きわめて明白に示されている。
彼は、それを翌一月十五日と二月十二日との二回にわけて、
ハイドンを自宅に招いて聴いてもらったばかりでなく、
九月一日には、きわめて親愛の情の深い献辞を添えて彼に捧げたのであった。
いわゆる「ハイドン四重奏曲」と呼ばれているものが、それである。
それらは、ハイドンから評価され、
後半の試演に立ち会うことができた父レオポルトは、
ハイドンから直接、自分の子どもに対する賞賛の言葉を受けたのでもあった。
第十六番と通称されている変ホ長調K四二八は、
一七八三年の六月か七月ごろに書かれたその第三作にあたるものであるが、
自筆譜でも初版の楽譜でも第に置かれている。