苛酷な音のゲームはこの序章だけで、
アレグロに入ると、モーツァルトは彼のハ長調に特有の明るく平明な姿を取り、
そこまでに耳をふさぐ思いだったであろう聴衆を、
一挙にその欲求不満から解放させるかのようである。
それは終楽章まで続くので(途中で雲が出るとすれば、
メヌエットのハ短調のトリオだけで)ある意味で、
その序奏さえ除けば、
この曲は六曲のセットの中では最も穏やかな曲であるといえるかもしれない。
苛酷な音のゲームはこの序章だけで、
アレグロに入ると、モーツァルトは彼のハ長調に特有の明るく平明な姿を取り、
そこまでに耳をふさぐ思いだったであろう聴衆を、
一挙にその欲求不満から解放させるかのようである。
それは終楽章まで続くので(途中で雲が出るとすれば、
メヌエットのハ短調のトリオだけで)ある意味で、
その序奏さえ除けば、
この曲は六曲のセットの中では最も穏やかな曲であるといえるかもしれない。
この"不協和音"と呼ばれている四重奏曲の導入部で、
モーツァルトが"ハイドン・セット"の中で続けてきた音の実験はピークに達する。
その冒頭の二十二小節の中で行なわれる四本の楽器の自由な、
既製の概念にとらわれない音の動きは、互いにぶつかりあい、
ほとんど調性を持たないというか、ことさらに調性を避けたというか、
とても十八世紀の聴衆を念頭に置いたとは思えない、一種抽象芸術である。
モーツァルトはこの神秘的な(あるいは奇怪な)音の動きを、
美神に献じたのか、それとも冗談やいたずらのつもりで書いたのか、
それはいつまでも解けない謎であろう。