続いて、エンリケは、地図製作者たちに個々の探検の航路を図にし、すべての新しい情報を1つ1つ書き込むよう求めました。
エンリケは、未知のものを想像で描くことを部下に許さず、未知の部分はすべて空白のまま残されました。
この作業を助けるために、エンリケの船長たちは、正確な航海日誌をつけて、風、潮流、錨を下ろす場所など、後に続く者にとって有益と思われるもの、航海の間に観察したものすべてを記すよう求められました。
現代風にいうと、海図とガイドブックは最先端のソフトですが、エンリケは、ハードの面も無視してはいなかったのです。
ラゴスの造船所で、彼の船大工たちが探検の任務に適した船を建造していました。
最初、船大工は単に地元の漁船を補強したバルカやバリネルと呼ばれる、1本マストに1枚の4角い帆の頑強な船を用いていました。
しかし、不可能ではないにしても、この船では、逆風はもちろん、逆巻く潮に抗って戻ってくるのはかなり難しい、という船乗りたちの不平を抑えることはできません。
そこでエンリケは、船乗りと船大工を集めて、彼らにもっとよい設計を考えさせました。
こうした努力の結晶として、エンリケの船長の1人が「最高の海洋帆船」と呼んだカラヴェラという帆船が開発されたのです。
カラヴェラ船は2本、後には3本マストで、そのすべてに大3角帆が装備され、従来のものよりも風にのって帆走できるようになっていました。
屈強の男たちと有能な船長が乗り込んだカラヴェラ船は、ポルトガルの海洋進出におけるきわめて重要な要因となりました。
エンリケは、未知のものを想像で描くことを部下に許さず、未知の部分はすべて空白のまま残されました。
この作業を助けるために、エンリケの船長たちは、正確な航海日誌をつけて、風、潮流、錨を下ろす場所など、後に続く者にとって有益と思われるもの、航海の間に観察したものすべてを記すよう求められました。
現代風にいうと、海図とガイドブックは最先端のソフトですが、エンリケは、ハードの面も無視してはいなかったのです。
ラゴスの造船所で、彼の船大工たちが探検の任務に適した船を建造していました。
最初、船大工は単に地元の漁船を補強したバルカやバリネルと呼ばれる、1本マストに1枚の4角い帆の頑強な船を用いていました。
しかし、不可能ではないにしても、この船では、逆風はもちろん、逆巻く潮に抗って戻ってくるのはかなり難しい、という船乗りたちの不平を抑えることはできません。
そこでエンリケは、船乗りと船大工を集めて、彼らにもっとよい設計を考えさせました。
こうした努力の結晶として、エンリケの船長の1人が「最高の海洋帆船」と呼んだカラヴェラという帆船が開発されたのです。
カラヴェラ船は2本、後には3本マストで、そのすべてに大3角帆が装備され、従来のものよりも風にのって帆走できるようになっていました。
屈強の男たちと有能な船長が乗り込んだカラヴェラ船は、ポルトガルの海洋進出におけるきわめて重要な要因となりました。