ポジャドール岬の壁に象徴されるこの未知への恐れは、エンリケにとって、最大の難関となりました。
エンリケは、船乗りたちのように、闇の緑海とその恐ろしさを信じてはいませんでした。
しかし、彼らにそれを乗り越えさせるためには、彼の叱咤激励と金銭的なものだけでは充分でないということをエンリケは知っていたのです。
彼らを進ませるには、最新の道具と最良の地図、つまり最高の情報が必要なのです。
エンリケはそれらに注意を向けました。
彼は、リスボンの大学に出資し、科学者たちに航海上の問題を研究させました。
彼はこう尋ねました。
陸地が見えない海上で、船乗りは自船の位置をどうやって知ることができるか?
その答えを得るには、より高度な天文学の知識が必要でした。
そこで、最高の天文学者数人がリスボンに招かれ、実地に解答を探りました。
学者たちは自分の機器を携えてきて、それらを海で応用する方法を探りましたが、その多くはアラブ人の天文学者が開発したものでした。
エンリケは、また、著名な地図製作者もリスボンに招きました。
なかには、あの革命的な『カタルーニャ地図』を編さんしたアブラハム・クレスケスの息子、ジャコメ・デ・マロルカもいました。
当時、最も有名な地図製作者だったジャコメ・デ・マロルカを招いたのは、賢明でした。
彼は、地図製作という複雑な技術について自分が知っていることをすべてポルトガル人に教えたのです。
エンリケは、船乗りたちのように、闇の緑海とその恐ろしさを信じてはいませんでした。
しかし、彼らにそれを乗り越えさせるためには、彼の叱咤激励と金銭的なものだけでは充分でないということをエンリケは知っていたのです。
彼らを進ませるには、最新の道具と最良の地図、つまり最高の情報が必要なのです。
エンリケはそれらに注意を向けました。
彼は、リスボンの大学に出資し、科学者たちに航海上の問題を研究させました。
彼はこう尋ねました。
陸地が見えない海上で、船乗りは自船の位置をどうやって知ることができるか?
その答えを得るには、より高度な天文学の知識が必要でした。
そこで、最高の天文学者数人がリスボンに招かれ、実地に解答を探りました。
学者たちは自分の機器を携えてきて、それらを海で応用する方法を探りましたが、その多くはアラブ人の天文学者が開発したものでした。
エンリケは、また、著名な地図製作者もリスボンに招きました。
なかには、あの革命的な『カタルーニャ地図』を編さんしたアブラハム・クレスケスの息子、ジャコメ・デ・マロルカもいました。
当時、最も有名な地図製作者だったジャコメ・デ・マロルカを招いたのは、賢明でした。
彼は、地図製作という複雑な技術について自分が知っていることをすべてポルトガル人に教えたのです。